産地:愛媛県今治市大島

構成要素:英、長石、黒雲母からなる花崗岩で色は灰色

外見の特徴:花崗岩特有の雲母、石英、長石の配合が美しい

石目も細やかで、青味を含んだ石肌 大島石の石の堅さ・吸水率の低さは国産の花崗岩の中でも一、二を争うもので、この事は堅牢さ、長期にわたっての品質の安定、また、研磨による光沢の優れていることを示しており、関西・中国地方では、庵治石についで国産高級墓石材として人気があります。
別名「伊予大島石」とも呼ばれ、特徴として、堅くて石に粘りがあるといわれています。
また、吸水率が低く、どんな過酷な条件の中でも真の石の強さを示し、永く建墓時の状態を保ちます。

青磁の輝き

伊予大島石は、石目、石肌とも美しいことでは定評があります。
外見的にはとりたてて大きな特徴はありませんが、建立後の墓を見るとなんとも言えない青みをその肌に漂わせます。
その青磁の肌を感じさせる気品は、まさに“石の貴婦人”の名にふさわしいものがあります。
建墓した時の、他を圧倒する気品、風格は大島石ならではのものです。

大島石の歴史

1583年(天正11年)、豊臣秀吉の命により築城された大阪城と、藤堂高虎の命により築城された今治城の築城に参加した今治出身の石屋治右ヱ門に、今治城築城後、築城の機密事情を封じる目的の為、藩主より処刑命令がだされました。
その難を何とか逃れた治右ヱ門は、大島に辿り着きました。
大島に良質の花崗岩層が埋もれているのを知りった治右ヱ門は、自らの技術を生かして切り出しました。
これが大島石のルーツだと言われています。
しかし、確たる資料は残っておらず、その真実は未だ謎に包まれた部分が残っています。
大島石の採掘が本格的に始まったのは明治初期といわれていますが、当時の石切現場からの切り出し作業は、危険を伴うたいへんな重労働でした。
しかし、昭和30年以降墓石用に需要が急増したのに伴い、搬出用、機械や採掘用の削岩機、ジェットバーナー(切削機)などの設備が導入され、生産は大きく増加しました。
石材の最高級とされる大島石は、「かたい」「風化に強い」「変色しにくい」「水をふくみにくい」という特性から、古くは石塔や宝篋印塔に、近代にはいっては、国会議事堂・赤坂離宮・大阪心斎橋・愛媛県庁舎など、建造物にも用いられています。

大島石の特徴

大島石の最大の特徴は、建墓時の状態を永く保ち、決して色褪せしないことです。
むしろ、時が経つにつれて青味が強く感じられ、一層深みのある石肌を示し、永く美しさを保ちます。
建墓後、色褪せや退色のトラブルが多い中で、永く品質劣化のない大島石は墓石材としては最適といえます。